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※この記事は、当時広報を担当していた現会長がブログの更新を委託されていたにも関わらずそれを怠ったため、元会長に許可を頂いた上で改めて掲載されることになったものです。本当に申し訳ございません・・・・・・。よって以下の本文中で「現会長」等と表記されている部分も、当時の会長を指しています。


勉強会レポ

文批研現会長です、こんにちは。
今学期は新歓勉強会をいくつか行いました。お越しくださった皆様ありがとうございました。そして主催者の皆様お疲れ様でした!
今回のブログでは、その勉強会と鑑賞会の簡単なレポを載せてみようと思います。
※映画の内容のネタバレはございません。

4/20(金) 開催
文学部ってこんなとこ

文学部文学科の主催者による、文学部に属する人間についての考察が行われました。
文学部に来る人間のやる気の変遷を黒板に書いた場面が一番盛り上がりました(笑)
主催者の書いた典型的なグラフは頷くばかりで、文学部の私は終始「それな」状態でした。参加した2年以上全員が文学部所属だったため、せっかくなのでと各人のグラフも書いてみたところ、一部かけ離れる箇所もあり大変興味深かったです。


4/21(土) 開催
キンプリ/キンプラ鑑賞会
(映画「KING OF PRISM by prettyRhythm」、「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」鑑賞会)

最初に出てきた感想は「映画館に観に行かなくて良かった」でした。あまりに面白すぎて、大爆笑とツッコミを我慢できないんですよ……映画館だったら壮絶なマナー違反になるところでした。危ない危ない。
主催者が上映後に裏話やファンの間でされている考察を聞かせてくださり、作品への謎が……いえ、考えが深まりました。
あれが、プリズムの煌めき………………


5/12 (土) 開催
或る英国事情

英国に住んでいた主催者による英国についての勉強会。実際に住んでいたからこそ分かるおいしいご飯の話は特に貴重な情報でした。(英国+ご飯だと、おいしくない料理の話に偏り、おいしいご飯の話が一切出ないこともあるので……)
また、立教大学はイギリスに附属高校があるのですが、そこの面白い話もたくさんしていただきました。校則の厳しさ凄まじい!


5/19(土) 開催
黒子のバスケLast Game~特殊な解釈を添えて~
(前半:「黒子のバスケthe last game」鑑賞
後半:勉強会)

「黒子のバスケ」はアニメ放映時に特に女性の間で話題になり、二次創作でも爆発的な人気を誇った作品です。今も絶頂期ほどではありませんが、根強い人気がありますね。今回は映画を観た後に作品内のキャラクターの関係性と、ファンに衝撃を与えたアニメのエンドカードについて解説していただきました。本作が何故二次創作の場で盛り上がったかについて考えを深める勉強会となりました。いやぁ、すごいですね、黒バス。



レポを書きながら思ったのですが、なかなかインパクトのあるラインナップの新歓だったと思います!
春学期はあまり企画をたてられなかったのですが、秋学期には通常の勉強会や鑑賞会を積極的に行っていきたいと考えています。
ブログツイッター(@bunhiken)で告知をするので、入会を迷っている方も入会する気が全くない方も、要チェックですよ!

会員の皆さんへ
基本的にはやりたい人がやりたいことをする形をとっているので、何かやりたいことがある方は会長まで連絡ください。アイディアがまとまってない状態でも問題ないですよ~!
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インプロワークショップとは、簡単にいうとゲーム感覚でポーズや演技をしていくというもの。みんなでやっていくから楽しいし、コミュニケーションを【理論と実践を交えて】学べるっていうのが面白い!
(Platformさんによるインプロワークショップの紹介はこちら)

今回はPlatformさんという即興パフォーマンスチームの方々のご協力を仰ぎ、ワークショップを行います。

予定:【5/22(日) 13:20】池袋西口に集合。下北沢などがある世田谷区あたりの公民館へ行きます。ワークショップは17:00までありますが、途中抜けもOKです。
費用:ワークショップの費用は、普通は3,000円なのですが、学生は【タダ】で行けます!学生を対象に力を入れていらっしゃるんですね。

締め切り:【5/13(金)】までにメールでbunhiken@live.jp まで連絡をください。
大人数の方が盛り上がるので、みなさんのご参加お待ちしてます!

文批研インプロワークショップ 担当者より

21世紀は、アメリカ同時多発テロによって幕を開けた。昨年にはフランスでも同様の事態に見舞われた。一方、国内に目を向けると、原発事故を伴う東日本大震災。そして、記憶にまだ新しい熊本地震が起きた。これら二つの事態は、人災であるのか天災であるのかの違いがあるとはいえ、両者とも「予測不可能」なものとして、私たちに突きつけられる。その意味で、21世紀は国内的にも世界的にも「確率性の時代」ということができるだろう。それは、20世紀までのように、「敵」の姿が判然とした国と国との戦いのモデルには還元できない。いまや、どこに敵が潜んでいるかは不明瞭だし、いつ死に直結する事態が訪れるのかも予測不可能である。

このような確率的な世界は、個人のレベルにも影響を及ぼしている。よく言われるように、今日の若者は、社会で働くことや国の政治について考えることに「意味=必然性」を見出せない。それは、個人の日常のただ中にも、確率的な虚無感が孕まれていることの表れだろう。

簡潔にいってしまえば、現代社会とは、そのような「無意味さ=確率性」をいかに覆い隠すのかということに、奔走した社会である。具体的には、アニメの隆盛や管理社会の発達がそうである。
今回の勉強会では、そのような現代社会を思想、社会学、文化などの多様な観点から検討していく。そしてその結果、現代社会には「哲学的=偶然的」な思考が欠落していることを明らかにしていく。

硬い内容に思われるかもしれませんが、上記のことについて全くの初心者でも理解できるような言葉選びをするので、少しでも興味のある人には是非参加してもらいたいと思います。

【5月勉強会B】「現代社会における哲学の重要性――いま・ここの欲望を越えて」
日時: 5/28(土) 15:00〜(変更しました)
場所: 5209教室にて。

こんばんは。
授業開始1週間、すでに4回の自主休講をきめたこおりです。
タイトルの通り鑑賞会の告知となります。
実は勉強会の類を主催するのが初めてでして地味に緊張したりしてなかったりします。

本題に入ります。
今回鑑賞を行うのは『C』というノイタミナのアニメです。公式サイトはこちら
放送時期は2011年春、『あの花』の上段で放送されていたアニメと言われれば思い当たる人もいるのではないでしょうか。
どんなアニメかというとこちらをご覧ください(丸投げ)

近未来の日本。密かに混じるミダスマネーによって日本経済は回復しつつあったが、その恩恵は国民に反映されず、不可思議な事件や自殺は次々と起こり、不安な時代が続いていた。
大学生・余賀公麿は、突然現れた金融街の使者・真坂木に「未来を担保に、ご融資させていただきます」と言われ、多額の金を銀行口座に振り込まれる。公麿はその金に何気なく手をつけるが、そこで公麿を待っていたのは金融街にて自身と周りの人々の未来を代償にしたミダスマネーの奪い合い『ディール』を強制される『アントレプレナー』としての道だった。
(Wikipediaより引用)

正直説明になってませんが詳しく言おうとするとネタバレにもつながるので実際見に来てくださいとしか言えません。

「しょせん金は金か あるいはそれ以上のものか それともそれ以下のものか
 立場が変われば見え方も変わる 不思議なものだな 金というものは」

こちらが1話のある登場人物のセリフです。
お金の本質、このアニメの根幹を物語っていると思いました。
このアニメを通して見ることで意味が分かるでしょう。

このアニメ、実は僕がノイタミナの中で一番好きなアニメなのですが、誰に行っても理解してもらえません(半ギレ)
というわけで!
布教してやろう! とまあそんな感じの意気込みで始めた企画になります。
全11話を途中休憩も挟んでだいたい5時間程度鑑賞する予定です。
参加者の方は基本的に見ているだけです。途中入室途中退室も全然構いません。
お時間があれば是非ご参加ください。

日時:4/23(土) 13:00~
場所:X202

作品:『C』(1話~11話)

参加表明はTwitterかbunhiken@live.jp、またはLINEでお願いします。
(一応表明なし飛び入り参加も可です)


シリーズ第3回は、「アニメ映画と熱狂する製作現場」を副題として「ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎 駿×宮崎吾朗」を見ました。今回はアニメではなく、ドキュメンタリーを通してアニメの製作現場がどのような世界なのかを考察しました。

高校時代にアニメーションの世界にあこがれた吾朗さんは、ゲド戦記で初監督を努めます。興行的に成功したものの評価は芳しくなく、その反省を踏まえ「コクリコ坂から」の製作に挑みます。もともと環境デザイナーとして働いていたため経歴が浅いこともあって、周りからのプレッシャーや父であり大先輩でもある宮崎駿さんからの意見が容赦なく彼に向けられます。父と子として、そしてアニメーション界の先輩と後輩として、ふたりの葛藤が記録されています。

宮崎駿さんから吾朗さんへの継承は、どのような意味を持っているのでしょうか。福嶋亮太さんの『復興文化論』第6章では、手塚治虫がディズニーから得た反自然的衛生思想に対して、宮崎駿は手塚が抑え込んできた凶暴な自然を描こうとしているのではないかと述べられています。しかし、宮崎親子の継承は、父の表現や仕事に対する幻想を現実に落とし込む作業であり、独自性を見つけることは困難でした。ゆえに、吾朗さんは宮崎駿が描いてきた生命のありようを示す自然の機能に従って、宮崎駿への同化を遂げざるを得なかったのではないかと思います。

スタジオジブリのプロデューサーとして勤めあげ、35年以上宮崎駿さんと付き合いのある鈴木敏夫さんがラジオ番組をやっています。「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」という名前で、先ほどのドキュメンタリーでその収録現場らしき場所が映っていたように思います。ポッドキャストで、かつ無料で聞けるのでもしよかったら聞いてみることをお勧めします。裏話も結構多いですから。

さて、アニメ映画に焦点を当てて鑑賞・考察をするこのシリーズも4回目を迎えます。

次回は「アニメ映画と社会性」として、ディズニー映画から『アナと雪の女王』を考察します。
社会において、アニメ映画はどのような存在なのか。または、アニメが社会にたいしてどのようなメッセージを出しているのか。映画と社会の関係性について考えます。
もし興味がある方は、 bunhiken@live.jp まで。

12月「アニメ映画と社会性」
作品:『アナと雪の女王』(Frozen)
監督:クリス・バック、ジェニファー・リー、公開:2013年(アメリカ)。


タンタル



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