シリーズ第3回は、「アニメ映画と熱狂する製作現場」を副題として
「ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎 駿×宮崎吾朗」を見ました。今回はアニメではなく、ドキュメンタリーを通してアニメの製作現場がどのような世界なのかを考察しました。
高校時代にアニメーションの世界にあこがれた吾朗さんは、ゲド戦記で初監督を努めます。興行的に成功したものの評価は芳しくなく、その反省を踏まえ「コクリコ坂から」の製作に挑みます。もともと環境デザイナーとして働いていたため経歴が浅いこともあって、周りからのプレッシャーや父であり大先輩でもある宮崎駿さんからの意見が容赦なく彼に向けられます。
父と子として、そしてアニメーション界の先輩と後輩として、ふたりの葛藤が記録されています。宮崎駿さんから吾朗さんへの継承は、どのような意味を持っているのでしょうか。福嶋亮太さんの『復興文化論』第6章では、手塚治虫がディズニーから得た反自然的衛生思想に対して、宮崎駿は手塚が抑え込んできた凶暴な自然を描こうとしているのではないかと述べられています。しかし、宮崎親子の継承は、父の表現や仕事に対する幻想を現実に落とし込む作業であり、独自性を見つけることは困難でした。ゆえに、
吾朗さんは宮崎駿が描いてきた生命のありようを示す自然の機能に従って、宮崎駿への同化を遂げざるを得なかったのではないかと思います。スタジオジブリのプロデューサーとして勤めあげ、35年以上宮崎駿さんと付き合いのある鈴木敏夫さんがラジオ番組をやっています。
「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」という名前で、先ほどのドキュメンタリーでその収録現場らしき場所が映っていたように思います。ポッドキャストで、かつ無料で聞けるのでもしよかったら聞いてみることをお勧めします。裏話も結構多いですから。
さて、アニメ映画に焦点を当てて鑑賞・考察をするこのシリーズも4回目を迎えます。
次回は「アニメ映画と社会性」として、ディズニー映画から『アナと雪の女王』を考察します。
社会において、アニメ映画はどのような存在なのか。または、アニメが社会にたいしてどのようなメッセージを出しているのか。映画と社会の関係性について考えます。もし興味がある方は、 bunhiken@live.jp まで。
12月「アニメ映画と社会性」
作品:『アナと雪の女王』(Frozen)
監督:クリス・バック、ジェニファー・リー、公開:2013年(アメリカ)。
タンタル
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